(09/09)
かつて"御三家"と称され、1960年代から長年音楽活動を続けてきた橋幸夫が、東京都内の病院で肺炎のため死去したことが分かった。享年82歳だった。
所属事務所の夢グループの石田重廣社長によると、2025年5月にアルツハイマー型認知症を発症。2ヶ月ほど前から体調が悪化していたという。
病院側から、「数日前から血圧が不安定な状態」と聞かされたため、彼のもとへ足を運び様子を見に訪れたが、その時は安定していたそう。一安心して帰宅後、再び病院から連絡があり、容体が急変したと言われた。慌てて駆け付けるも、病室に着いたときには息を引き取っていたという。
誰にも見守られず天国へと旅立つことになってしまった橋幸夫。石田重廣社長は、「ほっとして病院から帰ってきたのですが。最期を見とれなかった。病床の橋さんは言葉を発せられずにいたものの、僕に何かを伝えようとしていたんです。その何かを聞けなかったのが本当に残念でなりません」と無念の思いを述べている。
橋幸夫は1960年、デビュー曲の『潮来笠』がいきなりヒット。1962年にリリースした『いつでも夢を』で人気を不動のものとした。同曲は吉永小百合とデュエットするなど、様々な歌手とのコラボも交えながら歌い継いできた名曲だ。
御三家のうち、西郷輝彦のあとを追うように橋幸夫も亡くなった。もう一人、舟木一夫は現在80歳で健在。ぜひ末永く元気に過ごしてほしいものだ。(船越)
所属事務所の夢グループの石田重廣社長によると、2025年5月にアルツハイマー型認知症を発症。2ヶ月ほど前から体調が悪化していたという。
病院側から、「数日前から血圧が不安定な状態」と聞かされたため、彼のもとへ足を運び様子を見に訪れたが、その時は安定していたそう。一安心して帰宅後、再び病院から連絡があり、容体が急変したと言われた。慌てて駆け付けるも、病室に着いたときには息を引き取っていたという。
誰にも見守られず天国へと旅立つことになってしまった橋幸夫。石田重廣社長は、「ほっとして病院から帰ってきたのですが。最期を見とれなかった。病床の橋さんは言葉を発せられずにいたものの、僕に何かを伝えようとしていたんです。その何かを聞けなかったのが本当に残念でなりません」と無念の思いを述べている。
橋幸夫は1960年、デビュー曲の『潮来笠』がいきなりヒット。1962年にリリースした『いつでも夢を』で人気を不動のものとした。同曲は吉永小百合とデュエットするなど、様々な歌手とのコラボも交えながら歌い継いできた名曲だ。
御三家のうち、西郷輝彦のあとを追うように橋幸夫も亡くなった。もう一人、舟木一夫は現在80歳で健在。ぜひ末永く元気に過ごしてほしいものだ。(船越)
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橋幸夫が認知症と診断! コンサートで曲を忘れるなど深刻な症状も!注目ワード
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